フンコロ式でいこう!

まあ取り合えずコロコロ転がしてけば大丈夫、かな。

ベンチの無い街

屋外公園のベンチ、レジャーガーデンベンチ、背もたれ付きの無垢材のベンチ、ガーデンファニチャーシート、防食および防錆テラスベンチ、2〜3人収容可能

先日久しぶりに美術展に行ってきた。場所は六本木のミッドタウン六本木。駅からのアクセスもばっちりで、会場も広くて快適だった。が、である。妻より先に出たので、外のアーケードで待つことにしたのだが、どこにもベンチが無い。そういうもんなのか。いやいや違うと思うぞ。LAでもバンクーバーでも、ダウンタウンのショッピング街にはベンチがあった。世界のギロッポンにもあってしかるべしだろう。

 

これはゴミ箱にも言えることなのだが、東京は「OMOTENASHI」などと言ってはいるものの、その基本的インフラを敢えて排除しているのだ。ベンチで言えば、寝る者が出る、酒盛りをする者が出る、ホームレスが座り続ける、などなど何やら勝手な理由をつけてなるだけ設置しないようにしていると思える。ゴミ箱なら、家庭ごみを持ち込む者がいる、分別がされずに捨てられる、などなど。

 

おもてなしどころか、弱者いじめの東京になっている。そして何とも余裕がない。疲れた人が休んだり、美味しいものを食べたらゴミを捨てたり。そんなことが気軽にできる街になぜならないのだろう。街に余裕がないから、ゆっくり滞在したくなくなる。本当はベンチに座って、テイクアウトしたコーヒーでも飲みながら、待ちゆく人を眺めたりしたいじゃないか。六本木だと、はい帰って、って感じなのだ。

 

近所の公園が好きなのはベンチもゴミ箱もたっぷりあるところ。ベンチに座ってゆっくり樹木や鳥や人々を眺める。ただそれだけで癒される。もしその両方が無かったら、たぶん通うことはないだろう。。。そしてベンチのほとんどが区民の寄付によるものだ。ありがたや~。住むのならベンチのある国、街に住みたい、というのは贅沢だろうか。そんなことを思い、ギロッポンを後にしたのだった。