フンコロ式でいこう!

まあ取り合えずコロコロ転がしてけば大丈夫、かな。

土地とリズム

日本人とリズム感 ―「拍」をめぐる日本文化論―

大学院の論文で大変なものの一つが資料集めだ。自分の立てた仮説を理論立てて証明するためには先人が解明した様々な文献からヒントをもらう必要がある。ただし自分の論文そのものを言い表す文献などあるわけはないし、仮にあったとしたら研究する必要性は無い。そこでまずはヒントの匂いのするものを手当たり次第に当たることになる。呆然としてしまうが、面白くもある。マゾでなければやれない作業だ。

 

僕はいま、日本のロングセラーCMについて研究をしているのだが、そこにあると仮定する日本人を惹きつけてやまないエキスの検証がテーマだ。エキスには幅広い要素があるだろう。その一つが言葉と音だと思っている。なぜあの適当な言い回しが、なぜあのヘンテコなメロデイが人を長く惹きつけ続けるのか。CMの寿命は通常、大変短い。オンエア期間もせいぜい2週間程度が多い。

 

それなのになぜか数十年も飽きられずにオンエアされ続けるCMが少なからず存在する。僕は日本人独特の節回しやオノマトペなどにそのヒントがあるのでは考えている。すると先週担当教授から上記の本を紹介された。「日本人とリズム感」である。これ、読み始めると止まらなくなった。研究資料というより純粋に読み物として面白いのだ。やはり持つべきものは信頼できる担当教授であるなあ。

 

大雑把にいうと、農耕民族と狩猟民族とではリズム感は大きく異なるということ。日本人のリズム感は田植えから生まれていると。そのリズムは大勢が間違いなく息を合わせることができ、転んだりしない安定的なものである。日本は平地が少なく、多くの田は山あいにあったため安定が重要。狩猟で上下に飛び回る民族のリズムとは別物なのだ。いやはやヒントは弥生にまで遡る(笑)。果てしないなあ。