フンコロ式でいこう!

まあ取り合えずコロコロ転がしてけば大丈夫、かな。

ラルティーグへの思い

ラルティーグ写真集―子供のまなざし

芸術論の同級生の発表で、ジャック・アンリ・ラルティーグというフランス人の写真家を知った。写真家というのは正確ではない。本業は画家だ。1894年に生まれ、1986年に没している。彼の写真を沢山お見せしたいのだが、写真集の表紙だけしか載せられず申し訳ない。ぜひググって見てほしい。そこには幼少期のまなざし、喜び、寂しさ、悲しさがたっぷり満ちている。永遠の時間が流れている。

 

裕福な一家に生まれた彼は、6歳のころに父親からカメラを与えられる。そしてすぐに撮影に夢中になってしまう。彼が撮ったのは、彼が感じる「幸せの瞬間」だ。楽しいとき、うれしいとき、そんな時間を留め置いておくのに写真がふさわしいことに6歳にして気づいたのである。と同時に、時間が永遠ではないこともしっかりと自覚してしまうのだ。これはある意味残酷であり、悲しくもある。

 

彼の写真には日記も添えられているものが多い。それを撮ったエピソードや思いを記していて、公開されているので写真とともに見ることができる。10歳以下とは思えぬ情緒豊かな文章が読めて感動する。いかに「いま」という瞬間が愛おしく、かつ、いつか消えてなくなるので辛いかを書いているのだ。行く川の流れは絶えずして元の水にあらず。諸行無常を理解しているわけだ。すごい。

 

彼は最後までアマチュアを通したらしい。なので彼の写真は作品ではなく、まさに日記と同じ「記録」である。今風に言えば、ライフログに近いのかもしれない。表紙の写真のような空中の写真が多いのは、ingの状態を手に入れたかったのかなと想像する。始まっていて、終わっていない。「渦中」の切り取りだ。考えてみると僕のブログも近いことをしているのかもとも思った。進行形でいたい、のかな。