フンコロ式でいこう!

まあ取り合えずコロコロ転がしてけば大丈夫、かな。

コーヒーと睡蓮

Coffee Before Talkie: 320 Sudoku Puzzles

朝のルーティーンはコーヒーを入れること。これといってすごいコーヒーを入れるわけではなく、ごく当たり前のドリップコーヒーである。よほど体調を崩していないかぎり、ほぼ毎日入れているのだが、これがとても心地いい時間だ。人間にとって、何にもしていない時間が一番心地いいのかと思いきや、何のことはない作業をしている時間の方が楽しかったりする。そこには何があるのか。

 

大学院の講義で、モネの睡蓮の話が出た。紹介されたのは、おびただしい睡蓮の絵たち。もちろんモネの睡蓮の絵は知っていたし、パリのオランジュリー美術館でも生の絵を見たことがある。が、講義で見たものはそれ以外の作品で初めて見るものばかり。モネは生涯で200点以上の蓮を描いてきたそうだ。なぜモネは蓮にこだわり、蓮だけを書き続けてきたのか?

 

答えは出されずに講義は終わった。僕は2つのことを想像していた。ひとつは、池の蓮が毎回表情を変える変容するものであるから面白いと思っていたからでは、というもの。同じように見えて、日々違うからこそ楽しめたのでは?と。ふたつめは、修練として同じものを描きつづけたのでは、というもの。決してゴールには辿り着かないかもしれないが、書き続けることで高みを目指していたのかも、と。

 

話をコーヒーに戻そう。ルーティーンのコーヒーの秘密は、モネ予想の一番目の理由に近い。毎回変わるのは、お湯を注ぐときの泡だ。コーヒーの粉の中央に、ゆっくり細くお湯を落とす。上手に落とすと、ふっくら膨らむ。膨らみが減るころ、さらにお湯を注ぎ足す。この繰り返し。膨らみの形は毎回違う。この膨らみをつくることが難儀だし面白い。だから飽きないのだ。人生って、こういう膨らみがいくつかあれば、前に進める気がするなあ。