フンコロ式でいこう!

まあ取り合えずコロコロ転がしてけば大丈夫、かな。

キャラ弁で思い出すこと

すみっコぐらしのお弁当

芸人チャンカワイのブログ記事で、奥さんの作るキャラ弁とその奮闘記が紹介されていて、何とはなしに読んでみた。いやはや奥さんのキャラ弁技術が素晴らしくてびっくりだ。うちのカミさんは料理は得意な方だが、キャラ弁とかを娘に作った記憶がない。一番求められるのは、幼稚園時代であろうが、あまり娘は欲しがらなかったと記憶する。いまのお母さんは大変ですなあ。

 

自分の記憶で、弁当には良い思いではない。むしろ悲しい思い出が残っている。。。幼稚園のころ、妹が生まれた。出産間際、母は入院し、僕は祖母の家に預けられた。同じ市内だったので、幼稚園に通う分には問題ない好条件だったのだ。祖母としてみたら、初孫が来てくれたわけで、うれしくて仕方なかったと想像できる。祖母宅から初めて登園する日の前日、祖母が聞いてきた。

 

ケンちゃんは何ば好いとると? 要は弁当を作るのに、孫の好物を聞いてきたのだ。記憶ははっきりしないのだが、何か黒豆みたいなことを言ったようだ。甘いものを適当に答えたのだろう。翌日、祖母に送られ幼稚園に登園。昼食の時間となった。いつものように弁当を開くと、唖然とした。ごはんの上にぎっしり黒豆が敷き詰められていたのだ。黒く輝く弁当だった。

 

帰宅後、泣きながら文句を言った。明治生まれの祖母は苦労人。二つの戦争を生き抜いた人だ。華やかな弁当など作ったこともなかったはず。しかし祖母は謝るばかりだった。さらに、一番好きなものは?と聞いてきた。どうにか穴埋めしたかったのだろう。そこは幼稚園児、泣きながら「ミカンの缶詰」と答えた。翌日の昼食時間、弁当箱を開けると、そこには敷き詰められたミカンがまぶしく輝いていた(泣)。号泣。