日本で人から名前を呼ばれるときは苗字で呼ばれることがほとんどだ。下の名前で呼ばれるときは、せいぜい親兄弟や幼馴染からぐらいだろう。ところがご存知の通り欧米では逆になる。ファーストネームで呼ばれるのがほとんど。この違いと影響は、すでに多くの場で語られてきたはず。日本は「家」と向き合い、欧米では「個人」と向き合う、などなど。
TEDで話題になったゴールデン・サークルという考え方がある。三重円の中心から「Why・How・What」と外に向けて考え方の位置づけが広がる。中心のWhyから考え、次にHow、Whatへ向かうという思考形式だ。名前の呼び方と直接には関係ないが、「核心から入る」ベクトルに共通性を感じる。「家ではなく君だ」というベクトルだ。鎧や衣をはいだオンリーワンの君を呼ぶという感じ。
春に青山学院のワークショップデザイナー講座に通ったのだが、そこで最初の仕事は自らのニックネームづけだった。一日だけならともかく三ヵ月間、その呼び名で呼ばれることになるわけで、皆悩んでつけた。このニックネーム、大人としては気恥ずかしさ満載なのだが、意味あることを実感した。「家」感のみならず、年齢や所属組織なども煙に巻いてくれるのだ。フラットであり、チャーミングでもある。ちなみに僕はもちろん、フンコロであった。
落語が好きでよく見るのだが、落語家の芸名でパワーを持つのは苗字より名前だ。もちろん流派が分かるという意味で●●亭、●家、は便利だが、呼び名は下の名前。「今日は一之輔と喬太郎と三三だってさ」てな具合。「個」で生きているからかな。名前がイキイキと耳に残る。僕ら庶民は、いきなり下の名前で生きるのは日本では難しいけれど、ニックネームならいけるかも。少なくともワークショップ同期生からは苗字で呼ばれたことはない(笑)。