フンコロ式でいこう!

まあ取り合えずコロコロ転がしてけば大丈夫、かな。

親方がいること

(1)親方と神様 (伊集院 静 少年小説集)

一個前のNHK朝の連ドラ「スカーレット」は、わりとサラッと終了した。あっけないくらい、サラサラっと。したがっていつも自分に起きる連ドラロスは、きわめて少なかった。これまでの朝ドラのなかでもかなりお気に入りだったので、これはロスはきついだろうな、と勝手に想像していたがそうはならなかった。

 

理由は何だろう。僕は最近たまたま伊集院静の「親方と神様」を読んで、ハタと気づいた。親方のせいだ、と。親方と呼ばれる位置は、技能職における頭(かしら)のことだ。スカーレットとの主人公・喜美子は陶芸家であるので、親方代わりの夫から学び、巣立ち、やがて自分も親方の立場へと成長する。

 

フィナーレで最愛の息子を亡くすのだが、ここで悲しみは描かれなかった。むしろ変わらぬ陶芸家の日々が描かれていた。ラストシーンは釜に薪をくべるシーンであり、それは彼女の日常の切り取りにすぎなかった。え、これで終わるの?と思ったが、しばらくして伊集院氏の本で気づいた。人生とは、引き継きなのだと。

 

親方から弟子へ。弟子が親方になり、そのまた弟子へ。これがあれば悲しみは最小限。親から子へと言い換えても成立するのかもしれない。大事なのは親方を見つけられるかかも。それは偶然や運や思い込みかもしれぬ。それでも出会えたら最高だ。親方であれば惜しみなく受け渡し、弟子であれば遠慮なくいただこう。はて、僕は親方には出会えたつもりだが、親方になれているのか? ここ大事。