フンコロ式でいこう!

まあ取り合えずコロコロ転がしてけば大丈夫、かな。

1ページが1枚になる

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若い頃から絵を少しずつ買っている。といっても安い絵だ。そして作家名も不明な絵。「博物画」というカテゴリーの絵である。初めて買ったのは30歳の頃。パリのルーブル美術館のそば、セーヌ川沿いの露店の古物商だった。額にも入っていない、昔の植物図鑑のページをばら売りしていたのを買ったのだ。題材はきのこだった。

 

もともと子どもの頃から図鑑が好きだった。親に買ってもらった図鑑を日がな眺めては模写したり空想したりするのが楽しみだったのだ。特に昔の図鑑の絵柄に惹かれた。熊田千佳慕のような図鑑画家が描いた細密画の、どこかノスタルジックで不思議な色気に。有名な大伴昌司の「怪獣ウルトラ図鑑」にも、細密なイラストが描かれていて同様に夢中になった記憶がある。

 

博物画は、19世紀に写真が登場するまでは図鑑や医学書などにおける精密描写の役割りを果たしていた。美術とは異なり、正確さが求められるものなので、背景やストーリーは基本的に存在しない。描写対象のみを描ききっている。その緊張感とある種の割り切りに、はかなさを感じる。どこまでいっても実態にはなり切れない、はかなさ。もどかしさだ。

 

そして、そこには作家性も伴わない。相当な労力をかけて描き上げた力作も、ノーネームである。それも惹かれる理由の一つだ。どこの誰とも分からない、世界の誰かが、腕を磨き描き上げた「ある1ページ」。その誰かは遠い昔に亡くなり、世紀を超えてどことも知れぬ異国の地で、壁にかけられる。「1ページ」が、「1枚の絵」になる。そんなジャーニーを想像するのが楽しい。写真の絵は、この夏、長野でゲットした北欧の一枚。その昔、学校で使われた教材らしいとのこと。また、きのこだ(笑)。ま、これもある種のきのこ中毒なんでしょうね。