フンコロ式でいこう!

まあ取り合えずコロコロ転がしてけば大丈夫、かな。

俳句というロマン

古池に蛙は飛びこんだか (中公文庫)

興味があって毎朝俳句を一句、SNSに上げている。と言っても気の置けない仲間内限定でのアップだ。毎朝なので少々大変だが、実はとても楽しい作業でもある。元々俳句に詳しいわけでもないし、俳句を書いてきたわけでもない。むしろ詩の方が好きだった。が、よく考えれば俳句も詩だ。と気づいてから、俳句を見るようになった。広告コピーにも近しい、短文のなかの大宇宙に惹かれたのである。

 

アップし始めて、一年目はいわゆる大家の俳句を選んだ。芭蕉、蕪村、一茶などなど。いずれもあらためて知ると、その上質さに毎朝目を開かれる。五七五の狭き枠の中に、何とも巧みに独自の世界を立ち昇らせる技巧。枠があるからこそ、創造力の伸びしろが大きいと知った。やっと訪れた長き平和な時間、江戸時代。その時代の生活や風俗を生々しく感じるコンテンツとしても重要だろう。

 

二年目は趣向を変えて、なるだけ近代以降の俳人を選ぶことにした。そこで感じた変化は、花鳥風月への視点から、人間関係や自身の感情への視点が増えることだ。前年にはなかった激しい恋愛感情や生活への思いなども出てきて面白い。しだいに個の主張が俳句に影響を及ぼしてきたのだろうか。そんななか、現在も活躍中の俳人に興味を持った。1954年生まれの長谷川櫂だ。

 

「夏の闇 鶴を抱いて ゆくごとく」「金閣寺 なにを言ひても 息白く」「冷やかに 身にしみわたる 今朝の水」 ああ、どれも素敵だ。身体で感じられるところが好きだ。興味がわいたので彼の本を読んでみた。「古池に蛙は飛び込んだか」という本だ。飛び込んだから芭蕉は詠んだ、わけではないようだ。この謎について一字一句検証していくから推理小説のようでもある。これは見っけものだった。