フンコロ式でいこう!

まあ取り合えずコロコロ転がしてけば大丈夫、かな。

デザイン史という栄養

世界デザイン史

過去の様々なアートで気にいったものが年齢ごとにあり、それごとに食い散らかしてきた。大学生のころは、ダダイズムバウハウスに興味を持ち展覧会に行ったりしていた。社会人になると、シュールレアリズムや彫刻に興味を持つようになった。きまぐれに、ふらふらと見て歩いてきたわけで、いわば「点」で味わってきたわけだ。大学院の講義でデザイン史を取っているが、ここで初めて「点」を「線」につなげることになりそうだ。

 

お作法どおりに、19世紀末のウイリアムス・モリスからスタートしたデザイン史。たぶん20歳の頃の自分なら眠くなってしまうであろう内容かもしれぬ。誰が好き好んで埃臭い過去の遺物の歴史を学ぶのかと。が、50後半の年齢になると全然眠くならない。自分が不思議だ(笑)。面白くて仕方ない。一度は見聞きしたことはあるものの、しっかりとその成り立ちは学んでこなかった事物に目鱗いっぱい。

 

歴史を学ぶことは「線」を知り、感じることと気づかされる。AからBにつながりCへ至り、今がDなら次はEかも、と。デザイン史で言えば、デザインの潮流のダイナミズムを俯瞰するわけだ。今は、過去のさまざまな偶然の積み重ねが生んでいると知る。その奇跡的なコンテニュイティに心が躍らされる。特に第一次大戦から第二次大戦あたりの動きときたら、大河ドラマかと思うほどの激流だ。

 

これらを感じ取ることは、自分にとって短期的な利益につながるものではない。ビジネスに役立てる気もない。そんな無益な勉強に興奮を覚えている。あえて言うならば、心の成長をはかりたいのかもしれぬ。センスとも微妙に違う。教養とも微妙に違う。美を楽しめるふくよかな心を育てたいのだ。ビジネスを否定はしない。だけど、そういうふくよかな心を持った老人になりたいな、とたくらんでいるのである。