フンコロ式でいこう!

まあ取り合えずコロコロ転がしてけば大丈夫、かな。

そこに窓があるからさ

裏窓 (字幕版)

映画論で大好きな「裏窓」の講義があった。映画における心理描写の分析が主なテーマだ。トリュフォーヒッチコックを「キスシーンのように殺人シーンを撮る監督」と言ったそうだ。まったく同意。セクシー且つユーモラス且つミステリアスと、他に比べようがない個性的な天才監督であろう。そんな彼の作品の中でも「裏窓」は、「めまい」と並ぶマイ・フェイバリット作品であった。

 

「裏窓」が秀逸であるのは、主人公役のJ・スチュアートが骨折で自由が利かない設定であるところだ。彼にできるのは寝たり座ったり、そして覗き見したり。当たり前だがインターネットもスマホも無い時代。外界とのつながりは窓から見える景色だけである。そこに目をつけた時点で、この映画の成功は約束されていたわけだ。隣の窓を覗く主人公の視線は、そのまま我々観客の視線となるという仕掛け。

 

また不自由なJ・スチュワートに対し、恋人役のG・ケリーは自由であり、魅力満載である。講義では、この差について詳しい解析が説明された。主人公にとって、女性、そして結婚は恐怖であるという。不自由な自分に対し、自由な女性は存分に着飾り、存分に結婚を要求する。身動きできない主人公は自然と追い込まれ、窓の外で気持ちの脱出を図ろうとするのだと。

 

さらにさらに、向こう側の室内では、どうやら殺人事件が起きている気配。しかも立場はこちらと真逆で、女性が臥せっていて男性が自由である。J・スチュアートの妄想はますます広がり、好奇心を抑えきれない状態へ。ここまで来ると、我々観客も後戻りできない。もっと覗きたい、もっと確かめたいと。いつの時代も窓は誘う。今なら検索窓がそれにあたるのかな。さあ、覗こうか。