フンコロ式でいこう!

まあ取り合えずコロコロ転がしてけば大丈夫、かな。

池がない!

ジェックス メダカ元気 メダカのための飼育鉢 黒370

ずっと何か足りないと感じていた。公園はある。カフェはある。大学もある。スーパーもある。しかし、池がない。三軒茶屋には池がないのだ。一戸建てにある小さな池ではない。手漕ぎボートが漕げる程度の広さを持った池だ。もしかしたら世田谷区に広げても無いかもしれない。杉並区には善福寺池がある。目黒区には碑文谷公園の池がある。練馬区には石神井池がある。

 

なぜ池が必要か。僕には淡水が必要だからだ。どちらかと言うと、海はマル必ではない。池や湖や川が住まいのそばにあるととても心が落ち着くのだ。旅に出ても、それらが存在する町は魅力的に感じる。浜名湖の浜松。鴨川の京都。雲場池の軽井沢。東京なら井の頭公園の吉祥寺。吉祥寺には18歳から10年住んだが、最後の2年は井の頭公園のそばに住んだ。毎日、池を渡って駅に向かうのが快感だった。

 

なぜ池がないことに気づいたかというと、院の講義でサウンドスケープを学んだからだ。サウンドスケープ=音景観。それは人為的な音ではなく、環境として存在するその場所ごとの音の景色。紹介された町ごとの音景観に、「水」の音が大きく影響を与えていることに気づかされた。川のせせらぎ、鳥のさえずり、魚の跳躍。水にまつわる音を、僕はどこかで欲しているのだろう。

 

池とは後から作り出すことはないものなのだろう。これから世田谷公園の噴水池を掘り起こし、池にしてはくれまいか。鯉やフナを放って、蓮やホテイアオイを育てる。朝な夕なに、池の水面を眺めて散歩したり、ベンチで本を読んだり、、、。ああ、たまらんなあ。何年かしたら誰かが放った外来種の魚が増えて、その駆除のために水を抜いてかいぼりをしたりして。妄想が広がる。が、池は依然としてない!