フンコロ式でいこう!

まあ取り合えずコロコロ転がしてけば大丈夫、かな。

音の景色

世界の調律―サウンドスケープとはなにか (テオリア叢書)

音楽の講義で「サウンドスケープ」について学んだ。ランズケープ(景色)からの造語で、音風景などと訳される。私たちが暮らす世界を取り巻く音の世界をあらわす。その景色は国によって、人によって、快にも不快にもなる。例えば、秋の虫の音は我々日本人にとっては趣あるものだが、海外の人々からすれば単なる騒音だったりする。

 

自然音のみならず、クルマや電車などの交通音、屋内での空調音なども含まれる。音の景色、とても面白い考え方だ。事例として京都のサウンドスケープを映像で見た。舞妓さんの下駄の音、鴨川のせせらぎ、お寺の鹿威し、などなど。なるほど、音だけで特定の地域が絵として浮かび上がってくるわけだ。

 

サウンドスケープのなかの一つ一つ特定の音をサウンドマークと言う。誰でも想い出のなかにサウンドマークの記憶があるのでは、と教授に問われた。その場では思い出せなかったが、あとで分かった。僕にとっては、キリギリスの鳴き声だ。それは少年の日の思い出。草はらに狩猟に出かけるときのサウンドだ。

 

セミ、キリギリス、花火、川、海、盆踊り。夏はサウンドマークがいっぱい。それは音楽ではないけれど、耳の中にしっかり残っている。少年時代は、音も含めて夏の世界全体を吸収していたんだな、と気づかされる。サウンドスケープまるごと、心の栄養だったのだ。コロナ禍でも、夏の音はなくならない。今年もしっかり耳を澄ませよう。